彼女の本名はマリー・アン・アデレート・ルノルマン(1772年-1843年)。1772年5月27日、北フランスのノルマンディ地方アランソンという町でルノルマンは生まれました。
ルノルマンの姉にあたる女の子を出産直後に亡くしていた母親は、亡くなった子供と同じマリー・アンという名前をルノルマンに付けました。
❝亡くなった子供の魂は牧草地にいて その子供の名前を次の子供に付けることにより その魂は次の生命の場所で具現化できる。その体には二つの魂が宿り その生命は有能であらゆる力を超越する。❞
それは当時のノルマンディー地方での言い伝えによるものでした。
家は服地屋を営んでいましたが、ルノルマンが生まれた翌年、父親が病気により他界してしまいます。未亡人になった母親は子供を育てるために再婚しますが、ルノルマンが5歳の時に亡くなってしまいました。
厳しい境遇にもかかわらず、ルノルマンは活発で明るい少女に成長し、そのお転婆加減に義父と再婚相手の義母はとても手を焼いたと言われています。
ルノルマンは人の洞察に優れていて、あらゆる人の観察をしていました。彼女の好奇心は留まらず、当時は市場の中に入ることを許されなかったジプシーに強い関心をもっていきました。
あるジプシーがルノルマンの手の平を読んだとき、❝家から遠く離れて富と名声を見出すであろう❞と予言した逸話があります。
ルノルマンの行動にたまりかねた義父と義母は、嫌がるルノルマンと妹を自由のない修道院に入れてしまいました。
半ば強制的に入れられた修道院での生活が始まりましたが、ここでの学習は、その後のルノルマンの人生に大きな変化と実りを得ることとなりました。文字の読み書き、刺繍の技術、計算の仕方や数の意味などを習得したのです。
修道院でのルノルマンの暮らしは安定したかのようでしたが、ルノルマンは時折予言のような発言をするために、神秘的ではあるが大きな問題がある生徒として修道院を追放されてしまいます。ルノルマンは11歳で働かなくてはならなくなりました。
当時のアランソンの小さな貴族の間では、社会的地位や富を得るため、良縁を見つけるためにカードを読むことが流行っていました。
ルノルマンはお針子と洗濯の仕事で稼いだお金で、あるジプシーから1セットのカードを買ったと言われています。彼女が手相やタロット、占星術を習得した経緯は謎に包まれていますが、カードを読み、未来を語る方法を教えたのはジプシーの人々だと考えられています。
パリで下着屋の仕事をしていた義父の元に行き、仕事を手伝いながら占いを始めたのは、ルノルマンが14歳のときです。女性のお客さんのために、タロットやトランプ、カバラ、手相、占星術、お茶の葉占いなどを用いていました。ルノルマンの正確な予測で顧客たちは成功し、彼女の占いは評判になっていきました。
占い師として生計を立て始めたルノルマンは、わずか19歳でサンジェルマンに本屋を開きます。当時のフランスでは、カードや占星術は法律違反だったので、本屋は占いビジネスのカモフラージュであったと考えられています。
富と名声を得たルノルマンは、星占いを予言の手段に使うことによって膨大なお金を稼いでいると非難され、フランスで非合法である占いの仕事をしていると裁判にかけられたのちにパリの刑務所に収監されたと記されています。
しかし、彼女の人気は衰えることなく、パリに上流階級の顧客のためのサロンを開きます。
彼女はフランス革命の代表的な革命家ロペスピエール、マラー、サン・ジュストらに予言したとも言われ、ナポレオンやその妃ジョセフィーヌとの親交は有名です。
ルノルマンは革命家や貴族などとつながりがあり、時には政治的な予言をするために国政を操る魔女とも恐れられ何度も投獄されました。
フランス革命の最中の激動の時代でもあり、占術家が生きることが難しかった時代に、どんな境遇にも屈せず強くたくましく信念を貫いたルノルマン。70歳余りで膀胱の手術の後にこの世を去りましたが、自身の寿命を124歳と予測したと言われている彼女にとってはまだまだ道半ばだったのでしょうか。
200年以上も前に生まれて激動の時代を生きた一人の女性の名がついたルノルマン・カード。形を変えていきながら受け継がれてきたこのカードにふれる度に、今を生きる私たちに大切なことを語りかけてくれるようです。
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